2012-07-25 第180回国会 参議院 社会保障と税の一体改革に関する特別委員会 第7号
私の地元岡山が生んだ幕末の改革者山田方谷は、藩の財政立て直しに取り組み、その実践の一つに禄の削減と質素倹約の奨励、つまりは、公務員の給与カットや歳出削減を提唱し、実践をしました。そして、自ら産業振興のためにくわを持って開墾に精を出し、ちなみに備中くわは山田方谷の発明でもあります。
私の地元岡山が生んだ幕末の改革者山田方谷は、藩の財政立て直しに取り組み、その実践の一つに禄の削減と質素倹約の奨励、つまりは、公務員の給与カットや歳出削減を提唱し、実践をしました。そして、自ら産業振興のためにくわを持って開墾に精を出し、ちなみに備中くわは山田方谷の発明でもあります。
非常に手前みそな話をいたしますと、私は近江商人の末裔なんですけれども、近江商人というのは、質素倹約とか誠心誠意とかいうことの普通の家訓以外に、三方よしということを言っているのです。売ってよし。もうけなければ商売にならないから、売ってよし。買ってよし。買った人は、いいものをいい値段で手に入れたということで、よかったと。普通それで終わりなんですけれども、そして、世間よし。
近江商人が江戸時代に、普通、商人というのは質素倹約とか誠心誠意とか言うんですけど、三方よしということを家訓として語り継いできました。売手よし、売って当然もうけなければいけない、利益を出さなければいけないと、売手よし。買手よし、これは、買手は適正な値段でいいものを手に入れたという買手よし。普通これで終わりなんですけど、近江商人は、そして世間よしと言いました。
藩財政を内外に公開し、債務の五十年返済延期を行い、家中に質素倹約を、上級武士にも下級武士並みの生活を送るように命じ、徹底的な財政改革を行いました。また、殖産事業を進め公共事業を興し、領民の生活の安定のために尽くした郷土の偉人です。 総理は、増収の道に対しましても、諸課題を一つ一つ地道に解決し、足下の危機を克服した後にとおっしゃいましたが、そんな悠長なことでいいのでしょうか。
ですから、やはり認識を改めていただいて、ちょっと節電についての質問はもう時間がないので省きますけれども、そもそも行き過ぎた市場原理主義とか物質文明主義を改めて、本来の、日が上ったら仕事を始めて、暗くなったら早く寝る、夜中も、二十四時間テレビがチャンネルをひねるとついているとか、あるいは、ほとんどお客が来ないような大型店舗が二十四時間営業でやっているとか、こういう無駄を見直して、質実剛健、質素倹約の本来
明治維新を成し遂げた西郷隆盛さんの言葉を最後に申し上げますが、人心歓欣して流通を喜ぶ時代になっては、為政者たるもの質素倹約令を出せませんよと、西郷さんはそう言っているんですよ。これは見事に人心をよく読み切っている。それだけに、為政者は相当な覚悟でやらないと新しい時代を切り開いていくことはできない。
○西銘委員 たまたま、明治の前の江戸時代の二百六十年の歴史の中でも、享保の改革とかあるいは寛政の改革とか天保の改革とか、二百六十年の中に五十年から六十年ぐらいの間隔でこういう改革の時代があるみたいでありますが、どうも終わってその後に出てくる言葉が、期せずしてといいますか、質素倹約という言葉が出てくるようであります。
それを申し上げると、何か清貧の思想というか、質素倹約をモットーというような感じになるかもしれませんが、決してそういう意味ではございませんで、ある程度の所得だとか資産だとか、それから健康ですね、こういうものが備わった上での心の豊かさということが大事だと思っております。
かつて日本人は、勤勉、忍耐、質素倹約、親孝行、兄弟愛、郷土愛、愛国心といった徳目を賛美し、それを教育の原点として人間形成に努めてまいりました。また、日本という国に生きる自分たちを誇りとしてきました。 しかし、戦後は、日本の伝統、文化を軽視し、自虐的歴史観に基づく教育のもと、子供たちは日本人として生まれてきたことを恥じるような教育を受けてきたのであります。
もう一方では、このような状況の中で自分を守るために、できるだけ物を買わない、質素、倹約、そしてシンプルライフ。こういう形の中で、今までの自分たちの暮らしは本当に豊かだったのか、自分たちは本当に必要な物を買って消費していたのかどうか。本当は必要のない、むだな物や情報をあさっていたのではないか、それが豊かさ、幸せと勘違いしたのではないか、こんなふうな見直しがかなり進んでいるのではないか。
それから二つ目は、ライフスタイルの転換ということを考えてみますと、少なくとも私なんかが若かったころといいますか、恐らく一九七〇年代ごろまではこの国では質素倹約とか質実剛健というのが格好よくて、ぜいたくは格好悪かったんです。ところが、八〇年代後半のいわゆるバブル経済の時期にぜいたくは格好よくなったんです。結局、そのことが何を意味するかといいますと、ライフスタイルの美意識みたいなものがあるんです。
「徳川時代でも、武士は個人消費は質素倹約を旨としたが、江戸で藩費による饗応贈答をするのには、銭金を惜しまなかった。このため、元禄以降になると、大抵の藩では総支出の四割から五割が「江戸御入用」となった。少数の江戸詰武士が、吉原や柳橋で饗応を繰り返し、豪華な贈答品を交換していたことが、藩財政の破綻と国元の疲弊の一因だった。」、その伝統を受け継いでいるのが現在の企業の接待贈答のシステムであると。
それからまた、昨年十二月のフィナンシャルタイムズの記事を紹介させていただきたいと思いますけれども、日本の皇室は世界でもより倹約的な王室の一つである、日本の内廷費は実につつましやかである、日本の皇室費はスカンディナビア各王国の王室とほぼ同額である、こうした経済的な質素倹約にもかかわらず日本国皇室は大いなる威厳と神秘性を醸し出している、こういう記事があったことを紹介させていただきます。
この人たちは、老後のためにと質素倹約を旨として、こつこつとためてきた貯金の利息でささやかな年金生活の足しにしようと生きてきた人たちであります。金利六%時代には月に十二万円あったものが、二年前には六万円になり、今度は二万円そこそこになるのだから、もはや生きる希望を失ったと嘆いています。
中には、質素倹約、中にはハイカラさん、歌までありますから、きんきらきんと、だて者と。まあ、細川総理もそうだと思いますけれども、しかし、本当に細川家というのはすばらしい人材がおってすばらしい殿様であったということは紛れもない事実であります。ですから、きちっと家が残っておるんです。 ところが、しかし最近、総理のことをいろいろみんなが言う。
もともとこの国におきましては、質素倹約とか質実剛健とかいう言葉が大変たっとばれた時代がずっとあったわけです。ところが、私が見るところ、八〇年代の後半のいわゆるマネーの時代というのでしょうか、あるいはバブルの時代に、あの時期に非常に日本人はぜいたく志向になったわけですね。
それは単に学校教育だけではなくて、やはり家庭教育というのですか、少なくとも私が子供のころだと、さっき申し上げましたように、質素倹約なんということが大変とうといことであるというふうに学校でも家庭でも教えられましたし、そういうライフスタイルというものが、少なくともぜいたくは慎むというようなことが当然のようにして育ってきたわけでございますが、今の子供はそういった面での教育というものがおざなりにされているということは
生活大国の中で、何か総理大臣が質素倹約みたいなことをちょっと言われて、非難が出ておるようですけれども、しかし、ある意味では私は、行き過ぎはブレーキをかけなければ省エネにならないのです、これは。そういう点についての通産大臣、そして総理大臣の御見解を承ります。
それから一般的に質素倹約ということで、ボーナス制度などが我が国に特に発達しておりますので、そういうものを貯蓄しておくというような動向もあるわけでございまして、また全般に国民負担率が欧米諸国よりも低い、こういうことの要因、いろいろ言われております。したがいまして、こういう要因についていろいろ調べてみましても、決定的にこれが決め手だという要素は見きわめがたいわけでございます。
例えば、質素倹約をとうとぶ国民性であるとか、あるいは御指摘のありましたような人口構成の問題、つまり若い人口構成のために高いのではないかといった議論、さらには住宅取得、子女教育のための資金確保の必要性があるという議論、ボーナス比率が諸外国に比べて高い、さらには公的負担率が欧米諸国より低い、こういったことがさまざま要因として挙げられておりまして、必ずしも決定的な理論が成立しているわけではないようでございます
○説明員(足立和基君) 我が国の貯蓄率が国際的に見て非常に高い水準でございますけれども、この理由につきましてはいろいろの議論がございまして、例えば質素倹約をたっとぶ国民性、これは家庭とか学校教育の成果がございましょう。それからまた、現在の若い人口構成のもとでは老後に備えた貯蓄へのインセンティブが非常に強いのでないか。あるいはまた住宅取得とか子女教育、こういうために資金を確保する必要がある。